令和6年度広島平和研修感想文(長泉中生徒)
尾原 明依 「伝えていくことの大切さ」
「私は知らないことが多すぎる。」
そう感じたのは祖母と話をした時でした。私の祖母は昨年広島へ行き、資料館などを訪れていました。祖母と話しているうちに、私はもっと戦争のことについて知らなければならないと気づきました。現在、日本で家族や友達と穏やかに過ごしている私にとって、「戦争」とは、日常とかけ離れた遠い存在として感じられるものでした。そのため、戦争について知っていることもあまり多くありませんでした。そんな時、「広島市への代表派遣事業」について知りました。原爆投下によって何が起きたのか、人々の生活がどう変化してしまったのか、実際に広島に行って学びたいと強く思ったのです。そんな私にとって、広島での3日間は、戦争と平和についての考えを深め、たくさんの学びを得ることができる貴重なものとなりました。
平和記念資料館で見た、苦しんでいる人々の写真や赤と黒で塗られた絵はどれも目をそむけたくなるようなものばかりでした。被爆してから時間が経っても苦しみは消えないことを知り、改めて原爆の恐ろしさを実感しました。今、原爆が落ちてきて、一緒にいる家族と離れ離れになったらと考えると、胸が苦しくなりました。
今回の研修を通し、私は自分の周りの人たちに広島で何があったのかを伝えたい、伝えていかなければならないと強く思いました。以前の私のように、戦争とはかけ離れた生活を送り、広島での悲惨な出来事について知らない人も多いはずです。しかし、多くの命が奪われてしまうことを二度と繰り返さないためには、過去に起きたことを知り、現代を生きる私たち一人一人が平和について考えることが必要だと思います。平和について考え、自分の意見をもつためには、まずは知ることが重要なのです、
平和で、だれもが安心して暮らすことができる未来を創っていくのは私たちであり、そのためには、お互いを理解し尊重することが大切です。しかし現代は、人と人とのつながりが弱くなっているため、自分とは異なる考えを受け入れることが難しくなっているように感じます。それは私自身にも言えることです。これからは、学校や地域の行事に積極的に参加するなどして、多くの人たちと関わる機会をもちたいです。年齢、性別、立場が異なると、多様な考えがあります。それを理解し、受け入れることができるようになりたいです。
神戸 武佐士「例え一発だったとしても」
突然だが、つい「一言だけならいいか」「一発だけならいいか」と言って暴言を吐いたり、暴力をふるったりしてないだろうか。最近はSNSのひぼう中傷などが増えている。あなたもだれかを傷つけていないだろうか。例え軽い気持ちで放った一言の暴言や一発の暴力でもそれを受けた方は一生涯の傷を負うことがある。このような事態を防ぐために、私は感情にブレーキをかけて物事を冷静に考える必要があると思う。それを今回の研修で学んだ。
そもそも原爆は、無条件降伏を求めるポツダム宣言を日本が受け入れなかったことから落とされたそうだ。私は、原爆を落としたアメリカももちろん悪いと思うが、宣言を意地でも受け入れなかった日本も問題があったと思われる。つまり、お互いが意見を曲げずに激しくぶつかり合うことによって原爆が落とされ、関係ない人も傷つけてしまったのだ。各国が戦争に関係のない人々への被害を防ぐためには、お互いに気持ちにブレーキをかけるべきだった。もしお互いの気持ちにブレーキをかけられたのならば、日本に原爆を落とされずに済んだのではないだろうか。
また、今回の研修では被爆者に直接お会いして、生の声を伺える機会があった。今回お話を伺った被爆者の山瀬さんは、爆心地から2千2百メートル離れた自宅で被爆した。幸い自宅が半壊しただけで命に別条はなかったが、その時自宅にいなかった山瀬さんの父親は大火傷を負って帰ってきたそうだ。その大火傷はケロイドというかゆみを伴う病気になり、ウジムシがたくさんわいたらしい。8人家族の山瀬家は全員生き残ったけれど、いとこ2人は原爆によって亡くなったそうだ。また、原爆の後遺症により父はがんで、兄は白血病で亡くなった。このように、たった一発の原爆が幸せな家庭を一瞬にして壊したのである。今回のお話を伺って、私は改めて原爆の恐ろしさについて知ることができた。被爆者は目を背けたくなるような被害を受けた。もし自分がこんな状況だったら逃げ出したくなると思うだろう。だが、日本はそんな辛い状況の中、復興をして平和な世の中をめざしてきた。そのため、私も先人達の姿勢を見習って進んでいきたい。そして、この平和な世の中をいつまでも続けられるようにしたい。
今回の研修を通して、平和の大切さについて改めて考えることができた。今回学んだことを友達に話したり、図や写真を用いてみんなに発表したりして後世につなげていきたい。そして、これだけは覚えていてほしい。たった一言でも一発でも傷つく人がいる。だから、感情にブレーキをかけて冷静に考えることの大切さを忘れないでほしい。
鈴木 いろは「平和な世界へ」
友達と楽しく遊べる。たくさんの新しいことを学ぶことができる。このような平和な日常は、私にとって「当たり前」なものですが、ロシアとウクライナの戦争で被害を受けている子供の姿を見て思いました。平和とは必ずしもあたり前のことではないのではないか。
そして、自分の平和に対しての考えが違っているのではないか、と思いました。だから、私は79年前に原爆投下された広島の地で戦争の恐ろしさを知り、平和の尊さを感じて自分の考えを見直したいと思いました。
私は広島の街を見て、戦争で焼野原になったとは思えないほどきれいで驚きました。路面電車が通っていて、交通面でも便利な街だなという印象を受けました。
しかし、当時の形のまま残されている原爆ドームを見ると、やはりこの地に原爆が落とされ、多くの人が犠牲になってしまった、という事実を実感しました。原爆ドームは、もともと「広島県産業奨励館」というデパートのような建物として設立され、たくさんの人たちで賑わい、親しまれる場所でした。それがたった1回の原爆によって壊されてしまったのです。悲しみにくれる人たちもたくさんいたかと思います。そのため、戦後に原爆ドームを壊してほしいという意見が多かったそうですが、原爆ドームは保存されることが決まりました。理由は、当時の子供たちの未来のために保存してほしいという願いがあったからです。今でも原爆ドームが残っているのは、もうこのような悲しい出来事は起こさないという子供たちの強い思いの証明になっていると思います。私は子供でも未來のためを思って行動でき、平和への願いを繋ぐことができると分かって、感動しました。
戦争当時の人々の暮らしは厳しく、大変なものだったと思います。日本は戦争で不利な状況だったため、食べ物が少なく白米などが配給されていました。子供の中でも中学生は、大人と同じようにみんなのために働いていました。建物強制疎開をするため、中学生は家を壊し、女学生は手伝いとして俵を運んでいたそうです。広島に原爆投下された8月6日は大規模な学徒動員の日で、多くの中学生が作業中に被爆してしまいました。私と同じくらいの年齢の人がたくさん被爆してしまったことを知り、胸が苦しくなりました。
平和とは、世界中のすべての人が笑顔で、充実した生活を送れることであると私は考え直すことができました。その平和な世界を実現するために、核兵器をなくすことが必要だと思います。だから、私は今回理解することができた戦争当時の子供たちの願いを、少しでも多くの人に伝えていきます。そして、みんなにも戦争や平和について見直す機会がつくれると良いと思います。核兵器廃絶の意識を高め、世界中に強く訴えていくことで、平和な世界へ近づいていけると思います。
高草 航太「受け継いでいく広島の記憶」
「戦争と平和について学び、考え、それぞれの立場で自分にできることから始めましょう。」
これは、今回の広島研修でお話をうかがった被爆者の山瀬潤子さんの言葉です。それを受け、私は自分の周りから、少しでも平和に近づけるように、相手の意見も尊重する心をもちながら、人と接していきたいと思います。そして、広島研修を通して得た学びや考えをより深め、一人でも多くの人に伝えていきたいと強く思います。
私が初めて広島の街に着いたとき、緑がたくさんあり、とても栄えており、「本当にここに原子爆弾が落ちたのか?」と思ってしまうほどでした。しかし、平和記念公園や資料館、原爆ドームなどを見学し、いろいろな話を聞いていくうちに、その考えが変わりました。「目に見える傷」は、戦後の復興策で取り戻されたように感じられます。しかし、広島の人々は、今でもまだたくさんの「見えない傷」を身体や心に負い続けているのです。
資料館では、原子爆弾の被害や影響に苦しんでいる人々の写真や絵、衣服や遺品など、目をそらしたくなるような展示や、破壊された建物の写真や残骸といった、原子爆弾の威力を物語っているものがたくさんあり、原子爆弾により引き起こされた残酷な状況がよくわかりました。なかでも、ケロイドに悩まされている人の写真や、ショックで気持ちが不安定になってしまった女の人の絵、被爆者のものと思われる影が焼き付いた階段などは、とても衝撃的でした。また、爆心地から2、2キロ離れた場所にいた被爆者の方のお話では、原子爆弾が落とされたとき、みんながみんな、自分の家に爆弾が落とされたと思ったくらいの衝撃だったことや、目の前でたくさんの負傷者が三輪トラックで運ばれていくのを見たことなどを聞き、生々しい状況がとても伝わってきました。この研修で知った原子爆弾の被害というものは、想像よりももっと上をいく考えたくなくなるようなものでした。また、現在も放射線の影響や、原子爆弾のトラウマなどにより、まだたくさん苦しんでいる方々がいらっしゃいます。
現在、ロシアが核兵器を使う可能性があることを表明しています。現代の原子爆弾は、広島に落とされたものよりも威力が大きくなっているそうです。広島に落とされてしまったときも、あれほど多くの人が亡くなり、今もなお苦しめられているのに、それ以上のものが落とされるとなるととても恐ろしく感じます。今、私たち人類は同じ過ちを繰り返さないようにしなければならないと思います。そのためには、やはり多くの人に、この原子爆弾が落とされた広島の記憶を伝えなければならないと強く思います。
今を生きる私たちは、山瀬さんの言葉を忘れずに、いろいろな人と平和や戦争について話し合い、平和な世界を追求していくために考え続けていくことが大切だと思います。
更新日:2024年09月17日